Patlabor 2
機動警察パトレイバー 2 the Movie (1993)
人は、自分自身が内面でのみ描いた意識のシュミレートを、誰もが認識する世界に表出することができるだろうか。
ただ消費されていくだけの自分という存在を。現実にはまるで存在しないようなリアルを。
今ここに存在している意味を。
93年に公開された『機動警察パトレイバー2 the Movie』。
ここでは、冒頭に書いたパラノイアに陥った異能のグループが、彼らのシュミレートを完遂させるべく、刻々と動いていく様を冷徹に描いていく。綿密に練られた状況証拠で、大都会・東京を非日常の状況に晒していくことによって。
作中、たった一発のミサイルによって、いとも簡単に戦争状況が作り出されていく。
当初、コンピュータージャックされたモニターの中だけで展開されていた仮想攻撃が、いつしか現実味を持ち出し、一つの状況がさらなる状況を作り、現状を把握できない権力中枢はいたずらに迷走する。
日常の中にごく自然に重火器戦車が入り込み、大都市テロはいとも簡単に達成されていく。
それが、作られた平和に、パラノイアに陥るしかなかった異能者たちの、社会に対する復讐なのだ。
疑心暗鬼と恐怖に満ちた自衛隊と警察機構たち。遮断される情報。
だが、それでも人々は保身に走り、自らの問題として直視しない。もはや戦争など現実でないとでもいうように。まるで曖昧な日常の、延長でしかないゲームのように。
だがそれは、決して虚構などではない、現実の世界そのものなのだ。
そんな中、たった一人で真正面から現実世界を受け止めようとする者が立ち上がる。
今ここに存在している証として。
その意思を、意識を、完遂させるのは、誰とも代わり得ない、本人の決意そのものなのだ。
それが誰であるか、ここでは記さないとして、その雄姿を見れるだけでも、ジャパニメーション10年に1度の大傑作である。
実際、自分は痺れてしまったのだ。15年前、これを観て。緻密な意識のシュミレートを感じながら。